東京から尾鷲へ

2020年4月現在、管理人は三重県尾鷲市に暮らしています。伊勢路のほぼ中間地点、東紀州の真ん中に当たる場所です。

4月。雑木の山に山桜がスタンプのように。。

世の中は、連日コロナウィルスの感染者数を報じるニュースが流れロックダウンの噂が流れる前代未聞の状況です。2011年に起きた東日本大震災が、都市部に住む多くの人の心の中に「地方移住」というフレーズを植えつけたように思います。アフターコロナでは、リモートワークの認知度も急速に上がり、移住を行動に移す方々も多くなるのではと感じています。

伊勢路のスタートは二見ヶ浦の塩垢離から。

2019年始め、管理人は、真面目にこれからの暮らし方を考えるため、「人生の夏休み」を持とうと決めました。なんのあてもないまま、年号も変わることだし、お伊勢さんにでもっと思い立ち、調べるうちに伊勢路が熊野に続くことを知り、計画を立て始めたのが2019年2月。翌月の後半に9日間で歩く伊勢路旅を実行しました(プランの記事はこちら)。
歩きながら、険しい峠道では、きつさのあまり「わたし何やってるんだろう??」とか「これが神様から与えられた修行か〜〜」とか、色々な思いが浮かんでは消え、そして美しい景色に癒されるという一連のサイクルを幾度となく繰り返しました。お伊勢さんも遙宮 (とおのみや)も熊野三山も、もちろん素晴らしかったのですが、この歩き旅での一番の発見は、なんとなくぼんやり思い描いていた架空の住処での暮らしがここでは現実にできるかもしれないという可能性との出会いでした。

賀田湾に面する三木里海岸。真っ白な砂浜と吉宗公の命により植えられた黒松が有名。

東紀州は、海と山がものすごく隣接した難所のため、都市部への交通インフラが完全には整備されていません。そのために、守られてきた自然や文化と、何より人が暖かい。
初めての歩き旅では、帰りの航空券を手配していたため、ゆっくりと滞在することができなかったので、帰京後10日足らずで東紀州に舞い戻ります。歩き旅の中で一番印象に残った白浜を持つ尾鷲市三木里町に20日あまり、紀北町紀伊長島に10日ばかり滞在し、町をうろうろ探検し、地域の方とお話ししながら放浪者のようにふわふわと気ままに過ごしました。

苔むした石畳が続く熊野古道 伊勢路

伊勢路は江戸の時代に一世を風靡した巡礼路で、2004年に世界遺産登録をされ15周年を迎えましたが、宿の数は年々減っています。
何より、女性のひとり旅は宿には敬遠されがち。。ってことで、この地に泊まりやすい宿があったら便利だなぁ〜〜っと思い始めます。
7月、タイミングよくネットで「ゲストハウス開業合宿」なるものを発見し参加表明! そこで、歩き旅に特化した宿ができないだろうかというアイディアを得ました。下関で開催された合宿の帰りにも東紀州に立ち寄り、早速に思いをシェアし始めました。
そんなこんなで、こちらに知り合いもちらほらでき始め、話をするうちに「地域おこし協力隊」なるものの募集があるから応募しろと勧められます。地方では、何者であるかというわかりやすい肩書きを持つ方が安心するし、協力隊を通して行政と顔見知りになるのも一考かなということで、年齢を顧みず無謀にも応募し、あれよあれよという間に8月後半には面接が行われ採用されてしまったのでした。
そして9月後半には、家探しのために再度来鷲し、10月早々に晴れて三重県民となったのでした。

引越し後1時間に124mm、警戒レベル5の記録的豪雨の洗礼を受ける。。

しかし、引越しの2日後には台風19号、その6日後には24時間で550mm、警戒レベル5の記録的豪雨の洗礼を受けます。尾鷲の雨はハンパない。と聞いていた管理人は「やっぱ、聞いた通りに凄いわ〜〜〜」くらいに思っていたのですが、のちに1時間に124mmの記録的豪雨という数字の凄さを実感することになります。

引越し早々、「東京から嵐を連れて来た」とか「雨女」などと罵られる散々な東紀州入りでした。名誉の回復のために申し添えると管理人は「晴れ女」です。笑。

翌月からは、地域おこし協力隊としての定住移住ミッション「空き家バンク」の業務がスタートします。若いメンバーばかりの中で、おかんのような年の差をどうカバーするか。協力隊については別の機会に触れることにします。

それでは、hasta luego!

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