伊勢路を歩いて。。辿り着いたこと

伊勢路とは

「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録をされ2019年で15周年! 「巡礼道」が世界遺産登録をされているのは、スペインのサンティアゴ巡礼道と熊野古道だけなんです。中でも伊勢路は、聖地と聖地を結ぶなんとも贅沢で世界的にも珍しい巡礼道です。

世界遺産登録15周年記念パンフレット


伊勢神宮から熊野三山に続く熊野古道 伊勢路は、「熊野七坂 七坂越えてもまだ坂つきぬ」と謳われるほど峻険な峠を越える苦難の道。その行程はおよそ170km。ただし、この距離は伊勢神宮から熊野速玉大社まで。その後の那智大社から熊野本宮大社までを合計すると220kmを越える行程となります。

熊野古道の代表的な石畳は「伊勢路」にあり

馬越峠の石畳

熊野古道といえば、深山に石畳の続く神秘的な画像を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。ガイドさんによるとポスターなどに使用される石畳は「馬越峠」と「松本峠」がダントツに多いそうです。両峠とも「熊野古道 伊勢路」の代表的な峠です。

なぜ峻険な峠道に大変な苦労をして石畳を敷いたのでしょうか。。

東紀州は熊野灘の間近に大台ケ原を有します。台風シーズンには湿気を含んだ風が標高差1500mの斜面を駆け上り急激に冷やされることで凄まじい豪雨をもたらします。年間降水量にすると屋久島に次ぐ多雨地帯ということになります。その豪雨で峠道が崩落しないよう、そして厳しい傾斜を少しでも緩くするように先人の智慧が石畳として伊勢路に息づいています。もちろんですが、現在でも江戸期と同じ状態で石畳を踏みしめることができるのは、地域の方々が連綿と維持管理を続けてくださっているからに他なりません。

伊勢路は距離が長すぎる??

ここまでお読みくださった方の中には、そんな長距離の山道なんて歩けないよ~と思われた方も多いでしょうね。
確かに全行程を完歩される猛者もたくさんいらっしゃるようです。管理人もいつか全行程完歩を成し遂げたいと思っている1人です。

あれ?ってことは完歩してないの??っと思われましたか? 

そうです。江戸の時代と違って現在は列車やバスなどの文明の利器があります。道も全てが古いままではなく、熊野街道が国道やバイパスとなり、峠道以外は舗装道が大半です。2019年3月に伊勢路を辿った時は、舗装道路はなるべくスルーして”美味しい峠道”をチョイスして行程を組みました。はい。軟弱者です。
でも、いくつかスルーした峠は全制覇すべく絶賛リベンジ中です!

紀勢本線波田須駅は単線の無人駅

初めての伊勢路 歩き旅の行程を組むが。。

管理人は3月の後半から9日間の旅を予定しました。が、伊勢から熊野まで基本歩き旅で一気に回ろうとすると情報量がめっちゃ少ない。。
誤解のないように付け加えますが、三重県の東紀州振興課東紀州地域振興公社が公開しているWEBサイトは美しくて素晴らしいです。でもね、2泊3日のおすすめコースや車移動のモデルコースばかりなんです。歩き旅の欲しい情報が手に入らない。。

ということで、めちゃくちゃ本数の少ない公共交通機関と歩けるであろう距離と宿を組み合わせ、オリジナルプランを練り上げました(プランの記事はこちら)。この作業は結構楽しかったし、これこそ旅の醍醐味だとも思います。しかし、伊勢路周辺の宿は民宿が多くてネットに情報が載っているところはごくわずか。電話しか確認手段がなかったり、廃業してしまったのか繋がらないこともしばしば。繋がっても女性の1人旅は断られたりしますしね(1人じゃ採算取れないし、断る理由もわかるんですけどね。。)。

そんなこんなで気軽に思い立つには、結構ハードルが高いんだと思ったわけです。

確かに歩いていて人に遭遇したのは人気の高い馬越峠だけでした。他の峠は、終始1人です。ずーーーっと1人。独り言や鼻歌も恥ずかしくないくらい1人でした。笑。 3月といえば山歩きには良いシーズンだと思うのです。現に歩きながら桜が開花していく様に立ち会えるという、とても豊かな時間を味わえました。

人の頭しか見えないおはらい町通り

時はまさに平成最後という時期で、伊勢神宮やおはらい町、熊野三山には夏休みの原宿か?っというほど多くの人出が見られました。しかし、少し足を延ばした場所ではほんの数人にしか遭遇しませんでした。遥宮(とおのみや)や産田神社、神内神社などの神話にまつわる場所でさえも観光コースからは外れているようです。個人的には混んでいるところは苦手なのでラッキーなのですが。。

周りを田んぼに囲まれ神聖な空気が満ち溢れた遥宮 伊雑宮には人影なし。。

そんな誰もいないところで感じた可能性

伊勢路の大部分を占める東紀州は、豊かな自然の宝庫であり、その自然が育んだ食の宝庫です。特にお魚の美味しさには目からウロコが落ちました。東京で魚が買えなくなってしまったほどに。

海水で洗っただけの紀北町の赤ウニ

話は変わりますが、昨今世の中は大きく様変わりを始めています。リモートワークやテレワークといった場所を固定しない働き方も可能になりました。無料通話アプリやweb会議などで、インターネットに接続できる環境さえあれば、どこに居ても情報共有が可能な時代となっています。
高度経済成長期は、ベビーブームとも重なって都会の需要に人々が吸い込まれていきました。便利で手軽でスマートで、都会にはなんでもあるように見えます。
そんな時代を経て、そしてインフラが急速に整備される中で本当に大切なものを選択することも可能になりつつあります。

世の中の急速な変化をよそに伊勢路は人が少ない。。

長い歩きを旅するほど休みが取れない?
車で10分で行けるところをなんで1日かけて歩くの?
関東から紀伊半島はアクセスが。。

理由は様々ありますよね。でもでも、時代はものすごいスピードで動いています。働き方改革で有休消化が必須になったり、日常を離れ黙々と歩くことで見えてくるものがあったり。。
お隣和歌山県田辺市の熊野古道 中辺路は、海外からトライする人が多いのですが、中辺路の40kmでは物足りないという旅行者も多いそう。サンティアゴ巡礼道の一番人気「フランスの道」は800kmなのでさもありなん。でしょうか。。これから伊勢路に目を向けるツーリストが増えそうです。

尾鷲市を見下ろす天狗倉山でドローンを操る外国人観光客

伊勢路から目指す聖地とは?

新宮市に座す熊野速玉大社

古道で向かう熊野三山は、古来修験道の修行の地であり、平安時代に浄土教が盛んになる中で極楽浄土とみなされた場所。またそこに皇室の記紀神話が融合し神仏習合の流れに合致したと伝わります。「熊野権現」は神仏一体であり、貴賎男女の隔てなく、浄不浄を問わず受け入れたことが熱狂的な信仰を集め「蟻の熊野詣で」現象が起こりました。「伊勢へ七度 熊野に三度」と言われるほど江戸時代には誰もが憧れる観光旅行であり熱い信仰の地でした。

神々の母である伊邪那美命が眠る日本最古の神社は岩窟が御神体

加えて伊勢路には、森羅万象に命が宿るとした磐座信仰や自然崇拝、九十九神に見られる生きものや道具にも神が宿るとして祀られた塚など神秘的な史跡に溢れています。これらを古の人々と同じように自分の足で歩き思いを馳せる作業は、歩く人の数だけたくさんのインスピレーションを投げかけるように思います。

神も仏も自然も、道具にまでも全てに神が宿るのですから感謝に溢れ、些細なことで争いなど起るはずは無いだろう思ったり。ならば伊勢路を歩くことが世界平和にまでも繋がるのでは。。などと壮大な妄想を膨らませたりするのです。

熊野三山は、過去世の救済・現世の利益・来世を浄土に導くご利益があるといわれます。長い道のりを成し遂げた自信とともに、浄化され再生し誇りを手にした自分と出会う旅。今まさに求められているアクティビティのような気がします。
令和に「蟻の熊野詣で」が再来する予感さえしてきます。

その先の可能性。。

歩く人が増えればそこに関わる人も増えるでしょう。
起点となるゲストハウスが古道管理や語り部さんの休憩所を兼ねていたら情報発信に便利だし。。
飲食店ではここぞとばかりに新鮮な土地の味を堪能。
今は跡しか残っていない峠の茶屋も復活するかも。
昔はなかった歩き旅に嬉しいサービスも生まれて来るかもしれないし。。
ビギナーの妄想はますます膨らんで考えるだけでワクワクしてしまうのです。

伊勢路は可能性の宝庫です。新たに何かを作らなくとも、今ある資源で多くの人を惹きつける魅力があります。歩いた人は、きっとこのままの伊勢路を未来に残したいと思うことでしょう。それは、伊勢路という巡礼道だけではなく、旅先で出会う人々とそこでの暮らしの文化に触れるから。
歩きながら自らの中に新たな発見の種を見ることはとてもエキサイティングな経験だと思います。
このサイトを通して多くの人が新たな発見の入り口を見つけるきっかけになったらこの上なく嬉しい限りです。

それでは、hasta luego!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です