区切り打ちで未踏の峠に挑戦

まずは紀北町の峠を攻める

熊野古道 伊勢路は、紀勢本線と並行しているため、区切り打ちという何回かに区切って歩く方法が可能です。
2019年3月〜4月にかけて初めて訪れた伊勢路でスルーした峠が心残りで、早々に東紀州に舞い戻り区切り打ちを始めました。
5月に歩いた紀北町の峠の様子です。

三野瀬駅から長島方向に逆行し、たわわに実るさくらんぼを横目に熊ヶ谷橋→三浦峠→道瀬海岸まで。
道瀬海岸から赤い橋を渡って若宮神社の脇を通りサボ鼻道へ。熊野灘に浮かぶ島々を右手に眺めながら古里海水浴場へ。
古里のみかん畑に進み海から離れ一石峠から林道へ。お地蔵様を過ぎ42号線を進むとNAGASHIMA SHIP YARDが見えてくる。ちょっとアーミーチックな風情でカッコイイ!魚まちを通らず歩道用の長島トンネルを進む。長さ573m、天井の蛍光灯と同じ大きさに見える遥か彼方の出口!!
午前中で三浦峠、一石峠踏破し飽き足らず紀伊長島駅から汽車に乗り梅ヶ谷駅へ向かう。前回はツヅラト峠を選んだので、もう1つの長島入りするルート荷坂峠を目指す。まずは、駅前の八柱神社にお参り。江戸時代の旧荷坂峠に建立されたという如意輪観音像と地蔵尊。国道42号線から荷坂峠降り口という標識に「登ってないのに下るんかい??」っと不思議に思うが、荷坂峠は全行程が下りのみ。江戸時代中期に紀伊の国・紀州への正式な玄関口とされただけあって、道幅も広く歩きやすい。沖見平から絶景に一息き、荷坂峠の名物の1つであるオンツツジも咲き誇っていた。坂を下ると立派な猪垣に沿って用水路が作られ、里には一面に水田が。片上池までたどり着き区切り打ち終了。

2019年5月の時点では、伊勢路の峠制覇を目標としていたので、逆行コースに対して違和感を感じてなかったけど、伊勢路には、伊勢から熊野に向かう中で長い距離を克服する様々な仕掛けが施されていると知ってからは、近い将来通し打ちを決行せねばと心に誓うのでした。

尾鷲から熊野へ

次の区切り打ちは3ヵ月後。所用での訪鷲だし、酷暑真っ只中の8月だしなぁっと思いながらも、雨のため順延になった熊野大花火大会が開催されるとなれば、目指したくなるというもの。あわよくば、三木里から熊野市まで歩けないだろうか。。っと夜明けとともに歩き出す。。しかし。。

夜明け。八十川の白鷺に見送られながらヨコネ道に入る。賀田湾が朝日を受けて美しい。三木峠からは対岸の三木浦町が水蒸気に煙って見える。羽後峠に向かう途中「山の神」の祠が。。嫉妬深いと聞くので怒りに触れないように丁寧にご挨拶するが、立派すぎる供えモノに仰天。。古江の町に下る手前にはアサギマダラの群生地を発見!しかし気配なし。旅する蝶の群れ飛ぶ姿をいつか見たいものだ。賀田湾の入江に沿って、磯の薫りが漂いそうなほど海が近いこの区間は眺望も美しく、ビギナーにも楽しめるオススメコースだ。
賀田の町を抜け曽根に向かうと素晴らしい玉石垣の飛鳥神社が現れる。樹齢1000年と伝わる御神木も見もの。曽根の町を見下ろしながら曽根次郎太郎坂を進むとすぐに現れるのが鯨岩。シロナガスクジラそのもの。楯見ヶ丘からはその名の通り楯見ヶ崎が望める。立派な猪垣が続く中、不思議な石垣が。。石切りの手斧の跡が残ってるね。。
曽根次郎太郎坂、5kmだし305mといったら八鬼山の半分だしと甘く見ていたら結構堪える。笑。真夏の暑さと湿度は相当体力を奪う。。そして序盤の三木峠で朝食休憩をしたベンチにスマホを落とすという失態がここにきて影響してきた。甫母峠を堺に熊野市に突入し二木島の町から鯨の供養碑を通過して二木島峠に。湧き水を見つけ疲れた足をクールダウンして復活。逢神坂峠を超えて新鹿に到着するも熊野市に向かうにはタイムアップ。やむなく汽車で二駅移動し、熊野大花火大会を鑑賞したのでした。沖の船から打ち上がる花火を浜辺で見るのはサイコー!このスケールは海花火ナンバーワンというのも頷ける。

紀勢本線は、本数は少ないけど伊勢路歩きには心強い味方です。紀勢自動車道と国道42号線も平行しているので、汽車だけでなく車での区切り打ちにも最適です。古は海路が中心だったこのエリア。人の住む浦と浦を繋ぐ道が巡礼道となり、文明が発達しその周辺に鉄路と陸路が後付けされたのは近年になってからという辺境の地。海と山が接近し人の手が入るのを阻むこの地であったからこそ、暮らしを営む文化や風習が今尚残る希少な場所なのである。

それでは、hasta luego!

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